facebookのボタンに見るコミュニケーション

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すっかり生活に浸透したSNS。
今や、検索サイトよりも一番最初に見るサイトとなりました。
その中でもおじさんおばさん世代に人気の「facebook」。長い間「いいね」が足跡代わりとなっていましたが、そのいいねに感情が付いてくることになりました。

段階別に表現される「いいね」

前から言われていたことですが、「良くないのにいいねとはこれ如何に」。
確かにそうなのですが、それ以外にないので良くないものにも物申すものにも「いいね」と付けざるを得なかったのですが、ついに「悲しいね」「ひどいね」が追加されました。

ちょっと前に「いまいち」とか「良くないね」ボタンが付くという噂もあったようなのですが、SNS内で険悪なムードになってしまうのでやめたのでしょう。

表現豊かになったことで、自分の感情を伝えることができるようになった反面「めんどくさいなあ」と思うひとも多いのではないかと感じます。

コミュニケーションを渇望する大人ネット民

ネットで様々なことが事足りることになったとしても、コミュニケーションへの欲望は、形を変えたとしても本能で求めていくものです。

その欲求が、facebookのいいねボタンに搭載されたように感じます。

また、コメントにやたらめったら噛み付いてくる人種への牽制の役割もあるでしょう。
「かわいそう」「ひどいな」という感想を伝えたかったら「いいね」のあとにコメントを入れなくてはならないわけで、そこに噛み付いて炎上を促す類の人々がいます。
発言力のある人々は、そんなリスクを避ける為、ボタンも押さなければコメントもしません。
いやだなと思ったことについて、控えめに発言することができるわけです。

ネット上でのコミュニケーションは希薄になりがちという考え方もありますが、根本は誰かと繋がっていたい欲求があります。
自分のことをわかってほしいという感情は、おじさんおばさんになっても同じで、LINEやTwitterなど速さやマメさについていけない世代は、facebookが丁度良いSNSです。
そのfacebookで、ボタン一つで感情を6種類で表現できることは、画期的なことなのかもしれません。

表現をする言葉力の退化

ボタン一つで感情を表現することができるようになると、コメントを書く頻度も減るでしょう。
もともとわたしもコメントを入れる回数は少ないのですが、「いいね」で伝わらないことやお祝い、お礼などはコメントをいれたい年代です。

LINEやTwitter、facebookが増えてきたとき、減ったものはブログというメディアです。
140文字で完結してしまうことに慣れていくと、理論立てて伝えることやじっくり伝えるという時間を割くことがなくなってきます。

コミュニケーションも、慌しいものとなるかもしれません。
それでは満足度が低くなり、しかしドライな状態にも慣れてしまい、フラストレーションが溜まったままの大人たちが増えていっていると感じています。

 

ボタン一つであれこれ考えてしまったのですが、そんなわたしも最初の印象は「めんどくさ」です。
だったら文字書いたりする方が楽なので、きっとわたしの「いいね」クリック率は減るでしょう。

個人的には、「知らんがな」ボタンと「それな」ボタンが欲しかったです。
あと、コミュニケーションには満足しているのに、最近自分がずーっとSNSを眺め続けているのは何故なのかと考えていたのですが、それは単に「活字不足」ということに気づいたので、ちゃんとライターの仕事もしていきます。

 

 

 

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